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おかげ横丁 暮らしの彩り

日本人は古来より、自然の営みを大切にしながら、四季折々に豊かな文化を生み出し、季節に寄り添って暮らしてきました。

桜の花が咲くと春の訪れを喜び、夏の祭りに心踊らせ、秋には収穫に感謝し、そして、新しい年を祝う。そんな日本の暮らしは、季節の移ろいと共に様々な年中行事で彩られています。

こちらのページでは、おかげ横丁の暮らしを彩る、2020年の年中行事や風景の写真を紹介しています。


1月

 

お正月、おかげ横丁では歳神様をお迎えするため、正面入口には門松を置き、各お店の軒下にしめ縄を飾ります。

歳神様とは、年が明けると私たちの家々を訪れ、1年の実りと幸せを授けてくれる神様です。門松やしめ飾りは、歳神様を家の中に案内するための目印なのです。

門松の主役は、一番目立つ竹ではなくその名の通り松で、松飾りとも言われます。

古くより神が宿る木とされ、一年中青々としていることから長寿と健康の象徴とされています。その後、竹は折れずにまっすぐ伸びる姿から、長寿を招く縁起物として添えられました。

また、もともと縁起が良いとされていたのは牡丹の花でしたが、牡丹は高価で手に入りにくいため、安価で見た目が牡丹に似ていることから、葉牡丹が代用品として使われるようになったそうです。

そして、南天は〝難(なん)を転(てん)じる〟という言葉をもじって、魔除けの意味があります。

伊勢のしめ縄(写真上)は、一年を通して飾りつけします。

これは昔、伊勢の地を旅していた須佐之男命(すさのおのみこと)が、この地に住む兄弟の家に宿を求めたところ、 最初に訪れた弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は、大変裕福であったにもかかわらずこの頼みを断りました。

そして、次に訪れた兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は、大変貧しい暮らしをしていましたが快く引き受け、貧しいながらも出来る限りもてなしました。

須佐之男命はこれを大変喜び、一宿の恩返しに茅の輪を与え〝後の世に疫病あらば、この茅の輪を腰に付けたる者は難を逃れるであろう〟と言い残し旅立ちました。

以来、蘇民家は疫病が流行ってもそれを免れ代々栄えたといいます。

伊勢では、この故事にあやかって「蘇民将来子孫家門」の護り札をしめ縄に付けて、一年中門口に飾り、無病息災を願う風習が今に受け継がれています。

 

 

おかげ横丁 神路屋では、伊勢のしめ縄をはじめ、干支の置物などのお正月飾りを揃えています。

 

1月11日の鏡開き。お正月の間、各お店で歳神様にお供えしていた鏡餅を開きます。

鏡開きは、もともと武家から始まった行事なので、鏡餅に刃物を使うことは切腹を連想させるので禁物でした。そこで、手か木槌などで割ることになりましたが〝割る〟という表現も縁起が悪いので、末広がりを意味する〝開く〟を使って鏡開きというようになりました。

また、歳神様にお供えした鏡餅を食べるのは、神様との繋がりを強め、神様の力を授かると考えられていたからです。

ちなみに、鏡開きは一般的に松の内の後に行います。松の内とは、門松を飾っておく期間で、その間は歳神様が家にいると考えられています。

この松の内は、昔は元日から1月15日とされていたため、鏡開きは1月20日に行われていました。しかし、徳川家光が4月20日に亡くなったのをきっかけに、20日を忌日として避けるようになり、鏡開きの日も1月20日から1月11日に変更されました。これにより、松の内も1月7日までに短縮されました。

写真の方たちは、公募で集まったおかげ横丁の福人(年男・年女)さん。つまり、子年生まれの方々なのです。

鏡開きのあと、開いた鏡餅でぜんざいを作り、お越しになられた皆様にお振る舞いしています。

おかげ横丁では毎年、お正月にふさわしい、縁起の良い伝統芸能が繰り広げられます。

恵利原早餅つき(写真上)は、志摩市磯部町恵利原地区に江戸時代後期から伝わる楽しい餅つき。囃子唄を歌いながら、1本の杵を2人が交互に取り合い、手入を交えて三者一体でつきます。

お望みとあらば、餅つきに参加できますよ!!

元々は漁や農作業の忙しい時期に、短時間でたくさんの餅をつこうとしたのが始まり。現在では、様々なお祝い事の場で披露されています。

伊勢大神楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、獅子舞のルーツと言われています。江戸時代、伊勢神宮にお参り出来ない人のために諸国を巡り、神楽奉納の代役を務めたのが始まりです。

この日は、伊勢大神楽講社紀州支部山城社中による門付けをしていただきました。みなさんも頭を噛んでもらえるかも?!

 


2月

 

今年は2月3日が節分でした。おかげ横丁では「節分の市」が行われ、節分には欠かせない豆や、魔除けの柊鰯(ひいらぎいわし)などが屋台に並びます。

ちなみに、節分は2月3日と覚えている方も多いかもしれませんが、必ずしも2月3日とは限りません。節分は立春、立夏、立秋、立冬の年に4つある季節の変わり目のうち、立春の前日にあたる日です。

昔の人々にとって立春は暦の上での春の始まり。それは、新しい年の始まりでもありました。つまり、節分は新しい年が始まる前の大切な区切りの日でした。そのため、邪気や悪いものを落として、新しい年に幸運を呼び込むことを目的に、豆まきなどの行事が日本各地で行われてきました。

昔から季節の節目には邪気が入りやすいとして、あまり良くない日とされていました。そのため、地域によっては節分に柊鰯を家の門口に飾る風習があります。

柊鰯とは焼いた鰯の頭を柊の枝葉に刺したものを言います。柊の尖った葉が鬼の目を突き、鰯の匂いを鬼が嫌うといわれる魔除けのおまじないです。

また、唐辛子をつける場合もあります。唐辛子の赤色が魔除けを意味します。

 

豆まきが行われるようになったのは室町時代から。

節分の晩に大豆を煎り、これを升に入れて神棚に供えたのちに、一家の主人が〝鬼は外、福は内〟と唱えながら家の出口や各部屋に撒いていきます。撒き終わると、それぞれ自分の年齢の数(もしくはそれに一つ加えた数)の豆を食べます。この豆を年豆などといい、これを食べると病気をしないと言われています。

おかげ横丁ではこの日、町に現れたいたずら鬼を子どもたちが豆をまいて追い払う「鬼やらい」が行われます。

 

 

「鬼やらい」のあと、鬼が戻ってこないように、子供たちによって柊鰯が各お店に配られます。

真っ白の張り子のお面に、思い思いに絵付けを施し、オリジナルの鬼のお面を作っていただけます。お父さんのお土産にいかがですか?

毎年恒例の熊野鬼城太鼓による和太鼓の演奏。新しい年が福でいっぱいでありますようにっ!!

 

福人さんが、太鼓櫓の上から福豆を撒きます。中には宝船の絵が一緒に入っていて、それを節分の夜に枕の下に敷いて寝ると、良い夢を見て、それが現実になるという言い伝えがあります。


3月

 

3月3日はひなまつり。ひな人形を飾り、女の子の健やかな成長を願う行事です。他に、上巳の節句や桃の節句とも呼ばれています。

ひなまつりは、古代中国で行われていた上巳節(じょうしせつ)が起源になります。上巳とは3月上旬の最初の巳の日という意味で、この日に川で穢れを祓う習慣がありました。その後、この上巳節が遣唐使によって日本に伝えられ、日本の禊(みそぎ)の神事と結びつきました。

最初は、天皇のためにお祓いをしていましたが、平安時代に宮中行事に変わり、上巳の祓いとして人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川へ流すようになりました。その後、人形(にんぎょう)作りの技術が発展するにつれ、人形は流すものから飾るものへと変化し、ひな人形が生まれました。

また、桃の節句という別名は、桃の花が咲く頃に重なるというだけでなく、桃の木が邪気を祓う神聖な木と考えられていたからです。

やがて、これが武家社会に広がり、江戸幕府によって上巳の節句が五節句のひとつに定められると、5月5日の端午の節句が〝男の子の節句〟であったため、3月3日は〝女の子の節句〟となり、今のように女の子の幸せを願って、ひな人形を飾るようになりました。 

旧家に伝わるひな人形たち。明治、大正、昭和、時代によって顔かたち、衣装や飾りが様々です。

 

吊るし雛が始まったのは、江戸時代と言われています。

その頃、ひな人形はとても高価なもので、なかなか手に入らないものでした。しかし、生まれてきた子供の幸せを願って、お母さんやおばあちゃん、親戚の人たちまで、みんなで少しずつ小さな人形をつくり、持ち寄って作られたのが吊るし雛の始まりなんだそうです。

 

おかげ横丁の特設会場では、ひな人形をはじめ、ひな飾りやひなあられなどを揃えています。

 

 

昔ながらの七輪で、ひなあられを作っていただけます。

 

ひな人形作り。材料は畳です。い草と畳のヘリを使って作ります。玄関や床の間の飾りにいかがですか?

 


4月

 

4月はお花見の季節です。日本のお花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われています。

もともとは中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていましたが、平安時代になってから桜に代わってきました。平安の貴族は桜の花に心を躍らせ、桜を愛でては歌を詠み、宴を開いて楽しむようになりました。

また、農民にとってお花見は豊作祈願の行事でした。古来より、田の神様は冬になると山へ戻り、春になると里に降りてきて桜の木に宿るとされていたため、桜の木のもとで田の神様をもてなし、豊作を祈りました。

 

五十鈴川堤の桜。品種は染井吉野(ソメイヨシノ)です。

日本の桜のおよそ8割がこの品種です。江戸時代末期に、染井村(現在の豊島区駒込)の植木屋が、大島桜と江戸彼岸桜を交配して作り出したもので、当初は桜で名高い奈良県吉野にあやかり「吉野桜」という名でしたが、吉野山の山桜と間違えやすいため「染井吉野」と改名されました。

この新品種が国民的人気を得たのは、大島桜の華やかさを、花が咲いたあとに葉が出てくる江戸彼岸桜の特徴が引き立ててくれたためで、父母の利点を上手く受け継ぐ逸品だったのです。

縁台に座って、ゆっくりお花見をしていただけます。

 

 

おかげ横丁 野あそび棚では、お食事をしながらお花見を楽しんでいただけます。

 

 

満開の頃は、夜も延長して営業しますので、夜桜もお楽しみいただけます。

日没からライトアップをします。風がなければ、川面に桜が写ってとてもきれいですよ。(でも、今年は風が・・・)

毎年、桜が咲く時期に開催しています「五十鈴川 桜まつり」は、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、残念ながら、今年は中止とさせていただきました。昨年の内容はこちら


5月

 

5月5日は端午の節句です。男の子の健やかな成長を祈願して、鯉のぼりを上げたり、五月人形を飾ったり、当日は、菖蒲湯に入ったり、粽(ちまき)や柏(かしわ)餅を食べたりして祝いますが、その起源は古代中国発祥の厄祓いの行事です。

「端」は初めという意味で、「端午」は月の初めの午(うま)の日をさし、もともと5月だけに限りませんでしたが、やがて十二支でいう午の月が5月であり、午(ご)の日が5(ご)の日に通じることから 5月5日に行われるようになりました。

中国では、5月5日を重五(ちょうご)と呼び、菖蒲や蓬(よもぎ)の強い香りが邪気を祓うとされていたため、蓬で作った人形(ひとがた)を軒に飾ったり、菖蒲酒を飲んだり、菖蒲湯に入って邪気祓いをしていました。それが奈良時代に日本に伝わり、端午の節会(せちえ)という宮中行事となり、菖蒲を屋根を葺いたり、身に付けたり、菖蒲や蓬を丸く編み五色の糸を結んだ薬玉(くすだま)を飾ったり、貴族同士で薬玉を贈りあったりする行事になりました。

そして、鎌倉時代になると、日本では将軍家に男の子が生まれると旗指物(家紋のついた旗)や幟(のぼり)を立てて祝う風習がありましたが、やがてこれが武家の間に広がり、男の子が生まれた印として幟を立てるようになります。その後、武士の力が強くなると、「菖蒲」が武を尚(たっとぶ)「尚武」や「勝負」に通じ、葉の形が剣に似ていることから、兜に菖蒲を飾ったりと男の子のおまつりに変わっていきました。

さらに、江戸幕府によって五節句のひとつに定められると、男の子が強く逞しく成長して立身出世することを願う行事として定着していきました。その後、江戸庶民の間で鯉の滝登りで立身出世のシンボルとなった鯉を幟にするアイデアが生まれ、武家の幟に対して、町人の間では鯉幟のぼりが上げられるようになりました。当時は乳幼児の死亡率が高かったため、健やかな成長を祈る気持ちの表れでもあったのです。

おかげ横丁でも、毎年「端午の節句」を開催していますが、こちらも新型コロナウイルス感染拡大の予防のため、今年は中止とさせていただきました。昨年の内容はこちら


6月

 

6月は梅雨の季節です。梅雨の語源は中国にあって、梅雨(ばいう)という読み方で日本に伝わったとされています。これが江戸時代に入るころになると、梅雨(つゆ)という読み方に変わったと考えられています。

そもそも「梅の雨」と書いて、なぜ梅雨(ばいう)と読むのか?

これにはいくつかの説がありますが、最も有力な説は、この6月~7月に梅の実が熟す時期にあることにちなんでこの名前が付けられたという説です。

そして、梅雨(ばいう)が梅雨(つゆ)と呼ばれるようになったのは?

これにもいくつかの説がありますが、この時期の長雨によって、木々にもたくさんの露(つゆ)がつきます。そこから連想して、「露(つゆ)」から「梅雨(つゆ)」と呼ばれるようになった説や、梅の実が熟れて潰れる「潰ゆ(つゆ)」から「梅雨(つゆ)」に転じた説など。

ちなみに、それまでは梅雨のことを五月雨(さみだれ)と呼んでいました。陰暦の5月は、今の6月にあたります。

6月の雨には紫陽花がよく似合います。

鮮やかな青や紫がよく映えますが、紫陽花の花びらに見えるのは実はガクで、中心部にあるのが花です。

紫陽花は、土壌のph(水素イオン濃度指数)が酸性だと青系に、アルカリ性だと赤系に、中間だと紫系になります。日本は火山地帯で雨も多く弱酸性の土壌が多いため、青系や紫系が主流ですが、欧州ではアルカリ性の土壌が多いため、赤系が主流となっています。この色は、日本ならではなんですね。

毎年おかげ横丁には、ツバメが飛来してきます。

ツバメは、天敵から巣を守るために人の多い賑やかなところに巣を作る習性があり、昔からツバメが巣を作る家は商いが繁盛して縁起が良いといわれてきました。

そんなことで、伊勢ではツバメを大事にしています。

 

6月には衣替えがあります。おかげ横丁でも、障子戸から簾戸に入れ替えたり、軒先きに風鈴をつけたり、夏の設えでみなさまをお迎えしています。

衣替えは、もともと中国の宮廷で旧暦の4月1日と10月1日に夏服と冬服を入れ替えていた習慣が始まりで、日本へは平安時代頃に伝わり、室町時代から江戸時代にかけて、四季に合わせて式服を替える習慣が定着しました。

当初は、貴族社会だけの習慣で、年に2回夏装束と冬装束に替えるだけでしたが、江戸時代の武家社会では年に4回も衣替えをしていました。

その後、明治維新で新暦が採用されると、夏服は6月1日〜9月30日、冬服が10月1日〜5月31日となりました。 学校や官公庁、制服のある会社などは、現在もこの日をめどに衣替えを行っています。

 

 

市内の幼稚園の子供たちが、てるてる坊主を作ってくれました。(あ〜した天気にしておくれ〜♪)

そして、毎年6月には、夏の楽しみを一足早く先取りする「夏まちまつり」を開催していますが、こちらも新型コロナウイルス感染拡大の予防のため、今年は中止とさせていただきました。昨年の内容はこちら


7月

 

7月7日は七夕の節句です。七夕と言えば、織姫と彦星が一年に一度再会できる日です。

このお話は、天の川の西岸に住む機織りの名手・織姫と、東岸に住む働き者の牛使い・彦星が、織姫の父親である天帝のすすめで結婚したところ、仲睦まじくするばかりで二人とも全く仕事をしなくなってしまいました。

これに怒った天帝が、天の川を隔ててふたりを離れ離れにしましたが、今度は悲しみに明け暮れるばかりで働かなくなってしまいました。

そこで、仕事に励むことを条件に七夕の夜に限って再会することが許され、天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、年に一度、再会するようになったというお話です。

古来中国では、この織姫と彦星の逢瀬を祝い、織姫にあやかって機織りなどの技芸の上達を願う行事として「乞巧奠(きっこうでん)」が行われるよになりました。

奈良時代に乞巧奠が日本に伝わると、宮中行事として取り入れられるようになりました。宮中では、詩歌や裁縫の上達を願って祭壇にお供え物をささげ、梶(かじ)の葉に願いを込めた和歌をしたためて、笹竹にお祀りしていたそうです。

やがてこれが庶民の間にも広まり、江戸時代には手習いごとをする人や、寺子屋で学ぶ子が増えたことから、技芸や学問の上達を願って笹竹に短冊をにつるすようになりました。

五色(ごしき)の短冊というのは、中国の陰陽五行説にちなんだ「青、赤、黄、白、黒」の五色です。

七夕はもともと「しちせき」と読んでいました。七夕を「たなばた」と読むようになったのは、諸説ありまして本当のところはよくわかっていません。

一日も早く、新型コロナウイルス がなくなりますように・・・

おかげ横丁の七夕の節句では、昔ながらの笹飾りで町全体が彩られます。

みなさんにも短冊をご用意していますので、願い事を書いて吊るしていただけますよ。

ちなみに、昔ながらの笹飾りは7種類あり、下記のように書道や裁縫の上達、延命長寿など、それぞれに願い事が込められています。

短冊・・・・・学問や書道などの手習いの上達を願います。
吹き流し・・・・・機織りや技芸の上達を願います。
投網(とあみ)・・・・・豊漁を願います。
巾着(きんちゃく)・・・・・節約する心を育て、富貴を願います。
折り鶴・・・・・長寿を願います。
紙衣(かみごろも)・・・・・裁縫の上達を願います。
屑篭(くずかご)・・・・・物を大切にする心や清潔にする心が育つように願います。
吹き流し・・・・・機織りや技芸の上達を願います。

今年の「七夕の節句」は、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、開催期間と内容を変更して、笹飾りのみとさせていただきました。昨年の内容はこちら


8月

 

8月、おかげ横丁では先人に習って朝夕に打ち水をします。これで2℃ほど気温が下がるそうです。

おかげ横丁の夏の風物詩と言えば、この傳兵衛の「きょうりスティック」。漬物屋が作るきゅうりの浅漬けは、ひんやりさっぱり、水分と塩分の補給にもおすすめです。


9月

 

9月、おかげ横丁のカエデも色づきはじめました。秋晴れの空によく映えます。

おかげ横丁では、毎年9月29日の〝招き猫の日〟に合わせて「来る福招き猫まつり」を開催しています。

9(くる)29(ふく)と縁起良く読めることから、招き猫愛好団体である「日本招猫倶楽部」が、いつも手を挙げて私たち人間に福を招いてくれる招き猫に一年に一度感謝する日として1995年に制定された記念日です。

このおまつりでは、おかげ横丁の招き猫専門店「吉兆招福亭」のみならず、日本各地よりさまざまな招き猫が集結し、一年の感謝とともにみなさまとの新たな出会いを繋いでいます。


 

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